(2015年04月現在)

現在、あらゆる製品開発でコンピューターの支援を得たエンジニアリング(CAE=Computer Aided Engineering)が不可欠になっている。基本設計から製造プロセスまであらゆる現象を解析して有用なシミュレーションデータを提供するのが汎用CAEソフトウエア「LS-DYNA(エルエス・ダイナ)」だ。LS-DYNAをベースにし、特に自動車業界において各種の解析技術を開発してきたのが株式会社JSOLエンジニアリングビジネス事業部CAE技術グループのJSOL認定ITプロフェッショナル(アプリケーションコンサルタント)林信哉である。「安全を確保する技術」という創造の現場について聞いた。

JSOL認定ITプロフェッショナル
アプリケーションコンサルタント
林 信哉

林の仕事を一言で言えば、「自動車衝突安全性能についてのCAE解析」となる。
自動車メーカーにとって乗員の安全確保は最大の責務であり、それは同時に最も難度の高い課題だ。そして、さらに安全な自動車を開発するためには、より高精度な解析技術が求められている。そこでCAEを活用して衝突安全性能の開発提案を行ったり、技術課題をCAEにより解決したり、新しい解析技術の研究開発を行うなど「安全確保をCAEソフトウエアの立場から支援する」のが林の仕事である。

「単純な比較では、地上を走るクルマで最も安全なのは戦車です。大きく頑丈で、少々の衝突でもびくともしない。しかし、一般の人が戦車のような車を利用するのはナンセンスですし、最大の問題が1リッターの燃料で数百メートルしか走行できないこと。燃費が悪すぎます。一般の人には、もっと軽くて経済性の高いクルマが必要ですが、それと同時に戦車ほどではありませんが十分な安全性能を兼ね備えなければなりません。安全性能と経済性を両立させるのが自動車開発であり、設計から製造まで、LS-DYNAの解析・シミュレーション技術を使って支援します」

LS-DYNAは、汎用のCAEソフトだ。さまざまな物理現象を解析・シミュレーションする。例えばクルマが衝突した際に、車体のどの部分にどれぐらいの力がかかり、乗員空間を守りながら効率的に変形していくのかを設計データを基に解析・シミュレーションする。LS-DYNAは、米国ローレンス・リバモア国立研究所の研究員だったジョン・ホルキスト博士によってパブリックドメイン版として開発された。博士は1987年にリバモア・ソフトウエア・テクノロジー社(LSTC)を創業し、自動車衝突解析のために大幅な機能改良を行った商用版LS-DYNAの開発と販売を開始する。

LSTCはLS-DYNAの機能開発の強化に力を注ぎ、『One code strategy』と銘打って複数の物理現象を1つのソフトウエアでシミュレーションできるマルチフィジックス機能を開発目標にしている。
「一般的には衝突解析や流体解析を行うには専用のソフトウエアをそれぞれ購入しなければなりません。さらにユーザーは異なるソフトウエアに習熟しなければならないため、多くのコストと時間を必要とします。LS-DYNAの『One code strategy』はこれらの課題を解決するだけでなく、流体と構造の"連成解析"を容易に行えることも大きな利点です。例えば、自動車の動きを考慮した車体周りの流体解析や、心臓弁膜の物理的な動きと血流の関係などを高精度にシミュレーションできます」

LS-DYNAによる応用解析技術の開発は、世界各国の研究機関や企業のユーザーだけでなくディストリュビューターも取り組んでいる。その中でJSOLは、日本においてLS-DYNAの販売・サポートを最初に始めた草分けのディストリビューターとして長年にわたってLS-DYNAの解析技術をユーザーに提供してきた。これにより国内自動車メーカー向けでは圧倒的なシェアを誇っている。

「僕の仕事の使命は、LS-DYNAを使った独自の解析技術の開発と、それによりユーザーの方々の製品開発の効率化に貢献することにあります」

エアバッグの設計・開発を飛躍的に加速させる「JFOLD」

近年の林の取り組みでまず紹介すべきなのが、「LS-DYNAによるエアバッグ折り畳み設計支援システム JFOLD」の開発だろう。2013年7月にVer.1がリリースされ、ユーザーからの支持と機能追加要望を得て15年1月には機能を大幅に拡張したVer.2がリリースされた。
JFOLDは、LS-DYNAにより自動車エアバッグの折り畳みモデルを作成するためのソフトウエアだ。自動車エアバッグは衝突事故時に乗員を保護する重要な拘束装置であり、高い安全性能が求められる自動車の必須装備と言っても過言ではない。エアバッグは小さく折り畳まれてステアリング・ホイールやインパネ、シートなどに格納されている。衝突時にエアバッグが展開する時、その折り畳み方で展開挙動が変化することが知られている。

アプリケーションコンサルタント 林 信哉

「エアバッグはできるだけ速く膨らんで乗員を保護することが理想的ですが、簡単ではありません。例えば、乗員が設計上の乗車姿勢とは異なる"アウト・オブ・ポジション"の姿勢でいるとエアバッグの展開中に乗員と接触します。この時、逆に乗員が傷害を受ける恐れがあるため、折り畳み方を工夫して展開挙動を適切にコントロールする必要があります。このためエアバッグの折り畳み方は年々複雑化する傾向にありますが、複雑に折り畳まれたエアバッグモデルを作成することは簡単ではなく、これがCAEによるエアバッグ開発を難しくさせています」

一般的にはエアバッグの形状(CAD)データは折り畳む前の平面的なデータしかなく、折り畳み方は手引書で用意されている。つまり、折り畳まれた形状データは存在しないのだ。JFOLDは、この折り畳まれたモデルを作り出すことができる。

エアバッグの展開挙動のシミュレーション例

エアバッグの展開挙動のシミュレーション例

さまざまな折り畳みパターンと挙動展開をシミュレーション

JFOLDで何が可能になったか。まず、「どう畳めばどう展開する」という関係性を解析できるようになった。それが分かると、折り畳み方のバリエーションの違いによる乗員保護性能を評価できる。
これはエアバッグの設計・開発を効率化する大きな成果だった。なぜならば、従来、さまざまな折り畳みパターンのエアバッグを試作してはダミー人形を搭載したスレッド(台車)試験や実車試験を行って乗員保護性能を評価していた。エアバッグ単品の製造コストはそれほど高くないが、試験コストが非常に高い。試験をCAEで再現できることは、開発コストと期間の大幅な削減をもたらす。

ちなみにJFOLDではLS-DYNAによりツールと呼ばれる「板」を介して折り畳みシミュレーションを行っていく。エアバッグにツール板を押し当てて、内側に2回、外側に1回、再び内側に1回といったイメージで、折り畳みを逐次的に行っていくのだ。JFOLDでは、この折り畳み工程がそのまま記録されるだけでなく、工程を分岐させることが可能なため、さまざまな折り畳みパターンを容易に作り出せるのが特徴だ。

エアバッグの折り畳み工程をフローチャートで管理できる

エアバッグの折り畳み工程をフローチャートで管理できる
アプリケーションコンサルタント 林 信哉

「長年にわたって衝突安全解析の技術開発を行ってきました。その中で、自動車メーカーの社内に入ってメーカーの技術者と課題を共有し、課題解決に必要な解析技術を開発する業務も行いました。我々はこれを"オンサイトCAE業務"と呼んでいます。メーカーの技術者の方々の製品開発に対する考え方や感覚を直接感じ取ることができる貴重な経験ですが、今考えるとJFOLDの開発にも生かされていると思います。現場の技術者は、安全性能に優れたエアバッグをできるだけ短期間で設計・開発したい。つまり、もし私がメーカーの技術者だったらと考えて、その私が使いたい機能をJFOLDに実装しました」

JFOLDは、エアバッグ・メーカーはもちろん、自動車の安全性能を責務にしている自動車メーカーから歓迎された。さらに、エアバッグを開発していないシートメーカーやインパネメーカーなども注目を寄せている。シートにはサイドエアバッグ、インパネには助手席エアバッグが搭載されるため、エアバッグを考慮した製品設計をしなければならないためだ。CAEによりエアバッグの展開挙動が詳細に分かれば、今まで以上に開発を効率的に行うことができる。

「開発目的は自動車エアバッグの折り畳みですが、それに限ってはいません。例えば、洋服の自動折り畳み機械の開発に生かされるとか、こちらが意図していないところで使われれば面白いと思います」と林は楽しそうに語る。

「現場百回」での開発課題の解決と解析手法の創造

現在、自動車開発は車体をより軽くして燃費を高めるために従来の鉄から繊維強化樹脂複合材料(FRP)への置き換えを進めようとしている。これらの素材と形状を基にした衝突安全性の解析・シミュレーションの一つとしてLS-DYNAが活用されているが、林も樹脂材料の変形挙動を高精度に予測するCAE技術開発を行っている。

「LS-DYNAのすごい所は、開発元のLSTCが最新の研究成果を貪欲に組み込み、新機能を追加して、コストパフォーマンスを向上させてきた点にあるのです。さらに、ユーザーからの要望にも積極的に対応していることも重要な点です。その中でJSOLも技術開発に参画することにより、今まで以上に存在感を高めていければと考えています」

80年代後半、LS-DYNAによる自動車衝突解析が試行されるようになってきたが、本格化はまだ先であった。実際、93年に旧日本総研(現JSOL)で林が最初に担当したのは、輸送容器(キャスク)の落下強度シミュレーションであった。その後、コンピューターの性能が飛躍的に向上して計算速度も速くなり、自動車メーカーはCAEによる衝突解析を精力的に開始する。

アプリケーションコンサルタント 林 信哉

旧日本総研は、自動車メーカーのLS-DYNA活用が本格化すると見て、英国のARUP(アラップ)社に林ら3人を送り込んだ。ARUPは世界的な建築設計会社として知られているが、LS-DYNAによる自動車衝突解析でも先駆的な技術を有していた。林がARUPに出向したのは1999~2000年のことで、自動車衝突解析の基礎と英国流の仕事のやり方を学んだ。2000年以降、旧日本総研では自動車衝突解析業務が急激に増加する。

Arupから帰国した2000年以降、林は、目まぐるしい勢いで自動車衝突解析の技術開発に当たってきた。主に担当したのは自動車メーカーから依頼を受けて行う解析技術開発。ざっくり言うと、依頼元から製品データと製品試験データをもらい、その試験結果に合うように解析モデルを作成する。その後に、製品性能が目標値になるように設計対策計算を行う。一見簡単なようだが、解析モデルが試験結果を再現しないことが多くある。

「LS-DYNAに問題があるのではないか、と言われたこともありましたが、果たして本当にそうなのか。私がこの仕事を始めた頃は、解析結果が表示されているディスプレイだけを見て答えを出そうとしましたが、真実はそこには無いと悟りました。実際の製品はどのような形なのか、試験はどのような条件で行われたのか、試験後に製品はどのように変形したのか・・・。『現場』を直接観察するためにオフィスを飛び出しました。例えると、ベテラン刑事が事件現場に百回戻ってでも証拠を見つけ出すようなものです」

自動車メーカーが目指すものは、誰もが簡単に経済的に利用できるクルマの創造であり、そのための効率的でより自動化された設計開発システムの構築にあることは間違いない。しかし、そのシステムに入力するデータの正確性と信頼性が肝要なのだ。IT業界で使い古された言葉として『Garbage in, Garbage out(ゴミを入れた場合、ゴミしか出てこない)』の原則があるが、CAEも同じである。

「私が過去に担当した、むち打ち傷害評価のための高精度シートモデルの開発では、現物のシートをメーカーから提供してもらい、穴が開くほど毎日観察しました。歩行者保護脚部インパクタ(脚部ダミー)モデルの開発では、インパクタを完全に分解して、部品形状とその重さ、部品が結合された時の隙間まで全て計測しました。CAEはデジタル技術の極みのイメージがありますが、その基礎データの収集と信頼性の確保には極めてアナログな考えが必要なのです。まさしく、『現場百回』なのです」
実際、JSOLが日本の自動車メーカーから圧倒的な支持を得られてきたのも、「現場百回」を旨として、何度も何度も改善して成果を上げてきたからだった。

「Rolling Stone」を極めれば「苔玉」に・・・

林は大学では物理学を専攻しており工学系の構造解析とは全く無縁だったが、93年に旧日本総研に入社した際に当時の事業部長から取り組みを打診されたのがLS-DYNAだった。

「解析・シミュレーションも初めての体験でした。『プリ、ソルバー、ポストって、どういう意味ですか?』と先輩に質問して、『そこから教えなきゃ駄目なのか!』と呆れを通り越して笑われました。しかし、仕事を初めてこれは面白いと興味が湧きました。データを入れて、解析して、結果が出て、それをどう評価すればよいのか。インとアウトの関係性分析は直観的で分かりやすい。さらに、解析を仮想実験に見立てて、自分がやりたいことを何でもできるところが楽しくなりました。心機一転、構造解析を一から勉強することにしました」

アプリケーションコンサルタント 林 信哉

先にも書いたように99年には英国ARUP社に派遣されて自動車衝突解析を学び、帰国後も大手自動車メーカーからの依頼を受けた解析技術開発でLS-DYNAによる解析の腕を磨いた。
「自動車メーカーからの依頼は今まで経験したことがないような難易度が高い技術開発ばかりでした。しかし、途中で止めるわけにはいきません。また、2003年頃に開始した"オンサイトCAE業務"の最初のメンバーの1人にも選ばれましたが、試行錯誤の連続でした。自動車メーカーの技術者の方々は自動車開発の専門家です。彼らに認めてもらえるように自動車開発の基礎を学び取りながら、CAE技術者としての自分の役割について真剣に考えました」

ある時、解析結果と試験結果が何度やってもマッチングしないことが続いた。メーカーの技術者は解析技術に疑問を持ち始めたが、林らは基礎データを慎重に調べ直し、実物の観察を行い、原因を突き止めることに成功した。
「ソフトウエアだけの問題ではない。適切なシミュレーションには的確なデータと的確な手法が両輪とならなければならないと改めて知らされました」

技術屋としての証しを持とうと技術士(機械部門)試験にも挑み、2012年に見事合格した。しかし、試験勉強をしながら、「入社当時に構造解析を勉強したつもりだったが、忘れていることも多く、自分の知識の少なさにがくぜんとして手が震えた」と振り返る。
「途中から勉強のモチベーションは技術士試験の合格ではなく、自分の業務に必要な知識の獲得にしました。技術士は結果にすぎず、ここで得た知識こそが最大の宝です」

妻と2人暮らし。最近は健康維持(主に体重減量)のためロードバイクを始めた。また、「ARUP出向中に飲んだエールビールの味が忘れられず、地ビール探しが趣味になりました」と言う。

林はこの取材を通じて今までの自分の仕事を振り返り、まるで「Rolling Stoneのようだ」と言った。一度転がり始めた石はさまざまな障害物に突き当たる。否応なく迫りくる課題に対して、時には真正面からぶつかりながら、時には身を削りながら、時にはうまく避けることも覚えつつ、林は多くの上司や同僚に支えられて、そして自分を鍛えてくれた顧客に感謝しながらここまでやってきた。
ことわざの「Rolling Stone」とは違って、身に着けた苔を剥がさないようにさらに転がって成長し続けている。入社以来、一貫して取り組んでいるLS-DYNAも同じように成長し続けている。


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